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03.21
すでに3ヶ月が経過した。2013年1月7日付毎日新聞朝刊
シリーズ最後のタイトルは

争乱と平和の基に- 炭鉱の教訓 拡大願う

2年ほど前だったか。日独交流150周年記念切手を購入した。
とても綺麗なシートで、ドイツの世界遺産レーゲンスブルク、
日本の世界遺産薬師寺を始め、美しい切手が並ぶ中、
一体何なのか?と目を凝らしてみた切手があった。

一見して、古城でも家でも寺院でも遺跡でもない、
赤い、金属と思われる、おそらく巨大な装置の切手だ。
それがツォルフェライン炭鉱業遺産群(エッセン・世界遺産)
だった。

ドイツが専門なのに、ああ炭鉱か。。。とその時調べもせず
済ましてしまった。

シリーズ最後は、争奪の地であったドイツ西部ルール地方
エッセン市の郊外に建つ高さ55mの茶色い巨大な鉄塔が
シンボル、1930年代、1日1万2000㌧という欧州最大の
石炭採掘量を誇ったツォルフェライン炭鉱の跡地に
ついてである。

切手となっていたのは、「コンパスのように斜めに2本の
脚を伸ばした鉄塔は、かつて炭鉱労働者を地下深くまで
運んだ昇降機」だった。


以下抜粋。篠田航一記者

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第一次世界大戦に敗北したドイツは賠償金を払えず、
業を煮やしたフランスは1923年、石炭などの現物取立てを
狙い、「ルール占領」を実施。ドイツ人はストで抵抗したが、
インフレなど経済混乱を招き、ヒトラー率いるナチス台頭に
道を開いた。 

資源が争いを生んだ反省から、戦後は地域の資源を共同管理
する欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が1952年に発足。
現在の欧州連合(EU)に発展し、欧州統合の基盤となった。


地元住民の言葉として、炭鉱を管理する財団の職員
ニコラウス・ゲオルガキスさん

「石炭はかつて黄金だった。そのせいで戦争が起きたが、戦後は
平和を築く基になった。地元住民は今もこの炭鉱を誇りに思って
います」。


ベルリン・ブランデンブルク独仏協働研究所
マルティン・コープマン博士

「石炭と鉄鋼の共同管理は和解の大きな要因となった」。

1974~1992年の18年間ドイツ(西独)外相だった
ゲンシャー氏

「デュマ元仏外相ともよく話すが、今後は独仏にポーランドを
加えた『3和音』が必要だ」。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


86年閉鎖されたツォルフェライン炭鉱は、現在当時のまま保存
され博物館となっており、巨大な鉄塔は人々から
『エッセンのエッフェル塔』と呼ばれている、という。
炭鉱跡は01年世界遺産に指定された。
コークス炉だった敷地は、冬になるとスケートリンクとなり
市民の笑い声が響いている、ということである。

このエッセンのエッフェル塔、一体どんな?と興味を持たれた方は
画像検索してみてください。
スケートリンクとなる敷地も見られます。


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